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東京手仕事

2023.03.30

東京のスグレモノと作り手たち2022 vol.19|水門商店

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東京の伝統工芸品の魅力を広く伝えるため立ち上げられた「東京手仕事プロジェクト」。そこには、受け継いだ匠の技を活かし、スグレモノを生み出し続けるたくさんの作り手たちの姿があります。
「東京のスグレモノと作り手たち2022」では、東京手仕事プロジェクトで認定された作り手さんの工房にスタッフが直接お伺いし、「東京手仕事」の魅力をたっぷりと紹介していきます!

こんにちは!日本百貨店にほんばし總本店、スタッフの中川です。
今回私がお伺いしたのは、浅草で「江戸押絵羽子板」を作られている「水門商店」さんです。

水門商店さんは江戸末期から続く「際物屋」。
今ではあまりみられなくなった、五月飾りの座敷幟を主に扱ってこられました。
現在、座敷幟を作られているのは日本で水門商店さん1軒のみだそうです。

今回お話を伺ったのは水門商店の5代目、水門俊裕さん。

お祖父さまが早逝したことをきっかけに、お祖母さまが座敷幟の技法に近い「押絵」を製作し始め、水門さんが本格的に「江戸押絵羽子板」の製作をスタート。羽子板の題材となっている物語や浮世絵が描かれた当時の時代背景など日々様々な文献から学び、作品作りに活かされています。

そもそも「江戸押絵羽子板」とはどういった物か、みなさんご存知でしょうか?
恥ずかしながら私自身、日本百貨店で水門さんの作品に出会うまで実物を見たことがなくどのように作られているかも知りませんでした。

「江戸押絵羽子板」は東京都の伝統工芸品に指定されており、江戸押絵の歴史は江戸時代まで遡ります。
江戸時代中期ごろには現在の押絵に通ずるものが作られていたと言われており、屏風などに貼り付けて飾られていたそうです。

羽根突きをする羽子板には無病息災を願う想いが込められており、年末に子供のいる家庭にお歳暮として羽子板を贈る文化が生まれ、その風習は大正期まで続いたといわれます。
綿を布で包み立体的に絵柄を仕上げる押絵の技術が発達し、歌舞伎の場面を再現した羽子板が庶民の間で大流行。観賞用の羽子板としても装飾の美しさ、細部へのこだわりが追求され続けてきました。

「江戸押絵羽子板」の魅力はなんといっても、幾つも重なり合う色鮮やかなパーツが作り上げる一つの立体物。
土台となる厚紙の厚さや使用する生地、中に入れる綿の質や量、染料などそれぞれのパーツで使い分けられ、職人の手によって見事な作品に仕上がって行きます。

扇の細部にまでこだわりが詰まっており細かな柄は水門さんご自身が描かれています。

「江戸押絵羽子板」が出来上がるまでの工程は大きく7つに分けられます。
まずは、作品の元となる「下図」。
浮世絵など、作品の題材となるものを描いていき、作品によってはこの下図が複数枚必要になることもあります。
下図ができたら次は「裂(きれ)取り」。
下図をもとに厚紙から切り出した型紙を置き、生地を取っていきます。この時出来上がりの生地の組み合わせや柄の組み合わせが仕上がりの美しさに大きく影響するため裂取りもとても大変な作業です。
次に、厚紙で切り出した型紙と布との間に綿を入れる「綿入れ」。
型紙と布の間に綿を入れ糊で接着する作業ですが、パーツや生地によって綿の種類や量を変え、シワがよらないように力加減を調節しながら包んでいきます。また、布には縦糸と横糸が織り重なっており、縦糸の方が伸縮性があるため布の特性にも注意しながら慎重に包むという長年の経験が必要な作業です。
無事に綿入れが済んだら次は「面相」。
仕上がったパーツに顔を書いていきます。面相では日本画と同様の技法を用いて描かれ、滲み留めを塗ったあと胡粉などを塗り下地を作り、その上から描いていきます。

見えにくい側面にもしっかり色を付け、美しい仕上がりに。

この時使われる顔料にも様々な種類があり、一概に「高価なものが良い」というわけではありません。
ゴツゴツした力強さを出したい時はこれ、繊細ななめらかさを出したい時はこれ、と作品によって、また季節によっても調整しながら一つひとつ手で描いていきます。
面相の後は「上絵」です。
上絵を描く際にはまず胴体部分だけを組み上げて上絵を描き、その後で頭部をつけていきます。接着の際には押絵との間に隙間ができないようにし、継ぎ目には和紙を当て補強します。一目見ただけでは気がつかないような細部までのこだわり、また、濃淡をつけて立体的に見せるなど一つのパーツを近くで見れば見るほど、職人の技を感じることができます。

様々な色を重ねていきひとつのパーツが出来上がります。見た目ではすべて同じに見えるように色を重ねるのも長年培った職人の技です。

上絵ができたら全てのパーツを組み上げ、羽子板の裏に絵が加えられ、一つの作品が完成します。

水門さんは1人で全ての作業をこなすのではなく、押絵のみを専業とする押絵師にお願いすることもあるそう。
しかし複雑で難しいものなどはご自身で全てこなされます。
作品を間近で見させていただき驚いたのは、とにかく細部までの細かさ。

使われる色や組み合わせる色は、題材となる浮世絵の時代背景を読み解きその時代の流行を感じ取り再現していきます。

お話を伺う中で、水門さんがとても大切にされていることを知ることができました。
それは、「江戸の文化の上に成り立つ伝統工芸品」ということです。

「工芸品を作るだけじゃダメなんだよ。その時代の色の使い方や表現の仕方はもちろん、文化的な背景から伝えていかないと『伝統工芸品』にはならない」

と水門さんはおっしゃいます。
水門さんとお話をしていると、とにかく知識が多く能弁さに驚きます。
(同時に自分の知識のなさも痛感します…)
催事で出店した際や歳末の羽子板市では、お客様に自ら題材となった物語を丁寧に解説します。
水門さんの話を聞くために、わざわざ足を運んでくださる方もいるんだとか!

「ただの木工職人ではない」と、水門さんは昔ながらの基礎を守り続けることも大切にされています。
「世の中もっと器用に綺麗に上手く作れる人、たくさんいると思うよ。でもそうじゃないんだよ、自分達は売るだけじゃないから」と昔からの技術を守りながら、現代に合った良さも取り入れる。
水門さんの江戸の粋を大切にする想いを強く感じます。

当店でもお取り扱いしている、東京手仕事の認定商品「三番叟」。
末広がりで縁起が良い羽子板に、天下泰平、五穀豊穣、長寿などを願う舞「三番叟」と繁栄を願う縁起札をひとつに額装した作品です。

江戸時代から「厄が去る」として親しまれてきた「猿」。顔の部分を日本画にも使える面相の技法で丁寧に描き、長寿を表す鶴の衣装を纏わせています。添えられている江戸木版画のお札には、財神である三国志の関羽が10色以上もの多色刷りで表現され、文様から色使いまで細部までこだわりぬき、願いが込められた作品です。

最近では、松竹歌舞伎と手塚マンガがコラボした際たくさんのキャラクターをあしらった大きな江戸押絵羽子板を作成。
現代の人にも昔からの伝統技術を伝え広めることができるよう、様々な取り組みをされています。

現在も毎年12月17日から3日間、浅草寺では羽子板市が開催され多くのお客様で賑わいます。
様々な職人が作り出すこだわりが詰まったたくさんの作品を身近に触れることができるイベントです。
また、日本百貨店にほんばし總本店では認定商品の「三番叟」をお取り扱いしております。
ぜひ、ご自身の目で職人が織りなす技をご覧ください!

東京の「伝統工芸品」は、進取の精神に富む江戸職人の匠の技と心意気によって、磨かれ、洗練され、そして庶民に愛されて連綿と受け継がれてきました。「東京手仕事」は、そんな伝統の技に光を当て、匠の繊細な「手仕事」の魅力 を国内はもとより世界に発信していく取り組みです。