螺鈿(らでん)の魅力を最大限に活かした「螺鈿ガラス」
「このグラス、上から覗いてみてください」
店頭に並んだグラスをひとつ手に取り、水を注いで見せてくれたのは、天野漆器の常務・天野真一さん。
「わぁ、きれい…」思わず声が出た。グラスの底に施された螺鈿が映り込み、まるで万華鏡のような美しい輝きを放っている。
富山県高岡市が誇る伝統工芸品、高岡漆器。その特徴である螺鈿細工の魅力を活かした「螺鈿ガラス」は、今後、天野漆器のスター商品として期待されている一品だ。
螺鈿が原料から工芸品になるまでには、多くの手間がかかっている。
「これくらいのあわび貝1個から、使える部分はこの1枚だけ。貝のきれいな部分だけを切り取り、薄さ約0.1ミリまで表裏を削っていきます。手作業で螺鈿細工をし、接着した後、漆塗・乾燥・研ぎを何度も繰り返します」
青っぽく見えたり、紫に見えたり。天然の貝が、ガラスの形状や光の加減によって様々な表情を見せてくれる。
記念品から食卓に並ぶ商品へ
国の「伝統的工芸品」として指定を受けている高岡漆器。その代表的な技法が、螺鈿だ。薄く切った貝殻を刀や針を使って細片をつくり、組み合わせて花鳥風月を表現する。なかでも創業1892年の天野漆器は一番長い歴史を持つ。
現在でも百貨店の卸を中心に、小箱やお盆など、木地をベースにした伝統的な高岡漆器の受注が多い。
「従来の高岡漆器は記念品として買われる機会が多く、日常的に使う人は少ない。最近はライフスタイルの変化とともにその需要も減ってきているのが現状です。個人で使ってもらうことを想定した商品開発をしていかないと、うちもいずれ厳しくなってしまうと思いました」
そんな危機感から、天野常務はテーブルウェアを中心とした商品企画を始めた。2010年のことだった。
自分の代で終わらせたくない
天野漆器を5代目として継ぐ前は、大手小売企業でサラリーマンをしていた天野常務。長男だからいずれ…というのは考えていたが、特に両親から大きなプレッシャーはなく、東京で自由に就職活動をした。
「もともと接客が好きで就職しました。工芸品を取り扱うこともありましたね。色んなモノに自分も興味を持ちながらお客さんと接することが楽しく思えた反面、もっと詳しく説明したい、もっと良さが伝わるようにしたい、という思いが次第に募っていきました」
天野常務は当時を振り返る。
「自分でつくって売るのもありなのかなぁ、なんてぼんやり考えたりもして」
しかし、当時はそれが家業を継ぐことに直接つながったわけではなかった。一番強かったのは、「とにかく自分の代で途絶えさせたくない」その一心だったと話す。「売上も下がってきているような状態で先行きに不安もあったが、逆に自分がなんとかしないといけないと感じました」
天野常務は奮闘した。ガラスの前にも、銅や陶器など、螺鈿を活かすためにあれこれ素材を試しながら商品開発をするものの、売れずに終わった商品はいくつもあった。「幸い、会社として”その時代に合った新しいものはどんどん作ろう”という精神は根付いていたので、環境や人に恵まれていたんだと思います」
自分でつくって自分で売る。サラリーマン時代に漠然と描いていた夢が「螺鈿ガラス」でようやく実を結んだ。
仲間と試行錯誤の末に
2012年、華々しくデビューした螺鈿ガラスについて「うちの会社から出したけど、これは仲間とつくった商品です」天野常務は仲間の存在を強調する。
高岡漆器も多くの伝統工芸品同様、分業制だ。天野漆器でも、木地をつくる人、漆職人、螺鈿師で分かれる。それぞれ通常の業務が終わった後、天野常務と同年代の職人を集め、夜な夜な議論と実験を重ねる。
「こうやって完成して世に出ると、これまでの漆器と同じだろうと感じる人も出てくる。でも全く違うんですよね」
螺鈿ガラスの新しさは、そのデザイン性だけではなく職人技のアップデートにもあった。天野常務はグラスを上下に返しながら、丁寧に説明してくれた。
「通常の漆器は螺鈿の接着面が見えません。一方で、螺鈿ガラスは、ガラスの裏側から螺鈿を施し、表側の接着面を通して螺鈿模様が見えるようになっています。そのため、螺鈿の輝きを損なわずに接着する高い技術が必要でした」
塗に関しては、失敗してもやり直しがきかない点にも苦労した。
「ガラスの底も平らではないので、少しでも貝とガラスの間に隙間があると、漆が入り込んで模様が崩れてしまう。これまでの漆器とは違い、ゴミがついても塗り重ねて修正することができません。塗は一発勝負なんです。」
技術的な難しさがゆえに、これまで以上に仲間との絆も深まる。
「螺鈿ガラスに関する螺鈿や漆はその仲間たちと苦労してつくったものなので、今後もその人にしか依頼しないし、その人もうちでしかやらないと思います」
人々の生活を豊かに
技術的にも課題の多かった商品をつくる原動力は、やはりお客さんの反応だ。
「催事などでグラスに水を入れて実演すると、みなさん声を出して驚いてくださるんですよね。それを見るのがとにかく嬉しくて」天野常務の表情がほころぶ。
基本的には日本酒を楽しむために設計された商品だが、お客さんと交わす会話には様々なヒントが隠れていると話す。
「年配の人のなかには、毎日飲まなきゃいけない薬を楽しく飲むため、白ワインや焼酎にもよさそうだね、いつも梅酒一口だけ飲んでるから…と色んな方がいらっしゃいます。押し入れにたくさんある記念品ではなく、実際に日常生活で使ってもらって、少しでもその人の生活や心が豊かになることが幸せなんです」
お客さんの反応を職人の仲間にも伝えて、それをまた商品開発に活かす。その過程がとにかく楽しいと語る。実際に、ワイングラスやロックグラスなどのラインナップも増えた。
海外展開、異素材にも挑戦
その活動は、海外にも拡がりを見せる。パリでの展示会をはじめ、最近ではアジア諸国の引き合いも多い。ニューヨークでは、日本の工芸品や生活雑貨を米国市場に定着させることを目指したプラットフォーム事業「和技WAZA」にも参画するなど、その姿勢は積極的だ。職人も可能な限り連れて行って、その技を披露してもらう。
「海外へ高岡漆器の魅力を発信していきたいのはもちろん、仲間の励みにもなると思って活動しています。職人の高齢化にともない、継ぐこと、継がせることの不安を少しでも解消できれば。高岡漆器は魅力があって、注目されてるんだよと」
天野常務は今後もさらなる挑戦へと突き進む。螺鈿と水晶をコラボさせたアクセサリーも試作していると教えてくれた。
「螺鈿細工は本当に綺麗なんです。その魅力を表現できるものであれば、異素材にもどんどんチャレンジしていきたいですね」
螺鈿のように多彩な輝きを見せる天野常務。彼の情熱が、これからの天野漆器の未来をますます明るく照らしていくことだろう。
天野漆器:公式サイト
全国各地の作り手さんと、作るモノ、そしてそのこだわりに迫る企画。日本百貨店が出会った、日本のモノヅクリの技術と精神、その裏にあるヒトの心とは。